神社と寺、信仰について

今年に入ってずっと

書こうかどうか迷ってました

それは、信仰について

偏見を生みそうで、控えてましたが、

書くことにします。


大阪から帰って来て、凄く、不思議に思ったのが、

神社と寺の事

自治区に必ず一つづつ神社があるし、保育園は寺にある

そして、行事は神事と共にあるし、集まりごとは寺の檀家ごとにある


米作りを始めて、はっきりしたことは

自治区は稲作を中心にして、行事や祭りが行われていて、それに神事は付きものだということ

田舎の文化は、稲作中心の文化で、必ず要所で神事が行われている


本当にそれは、よくわかる

人事を尽くしたあとは、神に頼るしかない、

神輿を担いで、踊りを踊って、良い天候を祈願して、豊作を祈願する

稲作は、ほぼ、自然に起因していて、

昔のように水路が整備されていない状況ならば、なおさら、

自然が命を握っているっていっても言い過ぎではない気がします

だから、一心不乱に舞ったんだと思います



そして、田舎の生活は、お寺が中心で、

お寺は、刻をつげ、子供の面倒を見てくれて、冠婚葬祭を司っている

いまだに、葬儀は、土葬時代の穴掘り組でまわしており、

それは、普段の自治区の区割りとは違って、一緒に穴を掘ってた檀家の集まりになってる

生き死には寺の過去帳に記録されるので、

必然的に寺が役所の役割を担ってて、

寺子屋のように、農作業中の間、子供を寺が預かってくれたのか、

保育園は必ずって言っていいほど寺が運営している


6時と17時は寺の鐘が教えてくれてた


今、思い起こせば、

墓の踏めば、足が立たなくなるとか

悪さをしたら、神様のバチがあたるとか、目がつぶれるとか

水神さんと荒神のバチがあたるとか

今ではタブーな、怖い怒られ方をされたものです


やっぱり、日本の文化というのは

神社と寺が中心の文化なんです

そして、そこに、信仰心があって

その上にはじめて、道徳がのるんだと思います


米を作っていて、つくづくそう感じます


それが、今は、無信仰が当たり前のようになってる


神社は、普請する人もいなくなって、寂れてるし

寺は、檀家もいなくなって、あととりもいなくなって、潰れかかってる


まあ、神官もお坊さんも、職業になってて、説得力がなくなって来ているのも
理由の一つかもしれませんが


これは、すごい大事な事だと思います

信仰があって、道徳がのって、

そこに文化が受け継がれていく

稲作を中心にまわっていく


米を作るっていうのは、単なる作業じゃないし

無信仰っていうのは、日本人にとって恥じる事だ


そう思います






すっきりしました、書けてよかった









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